浪人時代に出会った大学生

浪人時代に出会った大学生

浪人時代、図書館で勉強することが多く、

そのような場で大学生にも会えました。

その大学生は、工学部の方でした。

私は理学部志望で、向かう道は若干違うものでしたが、

大学とはどういう場なのか、どういう大学を選ぶべきなのか

いろいろな情報を頂けました。

最も衝撃を受けたのは、大学で扱う教科書や参考書でした。

それまで、知っている教科書や参考書といえば、

書かれている内容はだいたい同じですが、

その書き方や分量はそれぞれ、だいぶ異なっている、

そして、学ぶ方はわかりやすいものを選ぶという印象でした。

しかし、大学では、そもそも教える内容が先生によって異なり、

その内容も初学者の学生にわかりやすくかかれたものというよりは

先生が好きな教科書を教えるものであり、

だいたいはわかりやすく書かれたものではないということでした。

もうひとつ、違うところは1頁を理解するのにかかる時間でした。

大学で学ぶ教科書は1頁を理解するのに1日から1週間もかかるというのです。

初めは大学生が怠けているだけかと思っておりましたが、

どうもそうではなく、本当にそれだけの時間がかかるということでした。

それもそのはずで、大学で扱う教科書のほとんどは、

大学4年生や大学院生、そして専門家が実際に論文を書くときに

読み返すものばかりでしたからです。

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つまり、専門家が自分の知識を確認する意味で書かれた本なので、

初学者である人には、一行理解するのにたいへんな時間と労力が

かかるということだったのです。

大学に入る前に、大学で学ぶということはどういうことなのか、

断片的にでも見られたのは非常に貴重な経験でした。

高校偏差値という決めつけ

公立の中学校に入学すると、3年後に初めての高校受験があります。

教室には数冊の分厚い高校受験案内の本が並び、休み時間にはワイワイ本を囲んで制服が可愛いなどと言っていたのを思い出します。

学校でみんなで話題になっていたのはもっぱら制服とか校風、科などで、始めはあまり偏差値には触れなかったのですが、夏休みを過ぎたころから、どこに行こうか、自分はどの辺などちらほらきかれました。

偏差値の高い高校に行く子は、早いうちから準備を始め、そうでない人たちは、ただ何となくいければいいかなというギャップも出てきます。

とはいえ、年末あたりになれば、誰がどこを受けるというのは知れるもので、偏差値の高い学校を受験する人へは羨望のまなざし、地元であまり評判がよくない所に行く人には口には出さずとも「あそこに行くんだ」なんて思ったりもしました。

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そういう評価はみんな偏差値がどの位というのが頭にあり、偏差値が高いからこの人はすごい人だ、偏差値が低いから大したことないなどその数値だけで相手を決めてしまうのです。

今まで普通にお友達だった人でも、心のどこかでこの人は…と思ってしまいます。

そして同じ所に行く人とは、同じだけあって話も弾み、親密になったりもしていました。

大人になってしまえば、正直高校がどこで偏差値がどのくらいなんてものはどうでもよくなります。

正直中卒でも大学に行けばそれが最終学歴にもなるので、そう考えたら、あんなに必死に偏差値を見ていたのが可笑しくなります。

とはいえ、エリートコースを目指す人には、大事なステータスになっているのは確かなので、価値観とは難しいなと思います。

大学選び、偏差値が意味するものいろいろ

自分の人生も左右する大学選び。自分にぴったりと合っていて明るい未来につながる大学へ進学したい。そう誰もが願っているはずです。それは偏差値だけでは測れません。でも気になるのが偏差値ですね。偏差値とは、あくまで相対的に見た客観的判断のひとつです。他に意味する事とは何でしょうか。それは、勉強をする経験が、人生に役立つ頑張り方を知るということに関係しているように思います。

大学生活を有意義にするのに大きな役割を果たしてくれるのは、人間関係です。高校よりもはるかにいろんなタイプの人と関わる事になるでしょう。

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そこから刺激をうけて自分が成長することもあるでしょう。刺激を受ける人に、頑張っている人というのがあげられます。これからどんな人と関わるのか分かりません。けれど、勉強を頑張ったという経験が測られる偏差値が大学生活の人から受ける知的な刺激の一つの基準になるのではないでしょうか。

大学は、最後の学生生活であり、社会へ出るための自分磨きをしたい場所です。そうだとすれば、決して自分の価値を偏差値では決められないと分かるでしょう。けれど、偏差値という基準があり、それに向かって成績を上げるように試行錯誤する経験こそ、大切で、生きる基礎体力のようなものです。その経験を同じ位した人とは他の人が分かり得ない特別な共感が出来るものです。それが、またかけがえのない人間関係にも発展するでしょう。

京大に受かった奇跡

私が現役で京大に受かった時の話を書こうと思います。ただ、結局後期試験で受かったので、今の受験生にはあまり役に立たない所もあるかもしれません。

私は高校でも理系の科目を受けるクラスで、志望したのは工学部の電気電子工学科でした。実は理系科目、特に数学が得意ではなかったのですが、自分の実力的にあまり選択肢がありませんでした。

まず、センター試験の段階では当然ながら英語など文系の科目もありますので、すべての教科をまあまあ勉強しました。

ただし、国語に関してはほぼ何もせず、特に古文は教科書をざっとみるくらいで体系的な暗記などはしていません。

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配点が低いこともあってこれくらいでもなんとかなるのではないでしょうか。今からできることを教えてほしい受験生の方には申し訳ありませんが、現代文に関しては昔から本をよく読むタイプの人間だったので、本当に何もしませんでした。

英語はとにかく単語を知らないとどうにもなりませんので、英単語暗記系のテキストを買って、一日10ページずつこなすということをやりました。ここで工夫するのが、新しいページは一日に1ページしかやらないということです。前の日にやったページの内一番先頭のページ以外の9ページと、その次のページをやります。こうして繰り返し覚えることで頭に叩き込みました。

数学も暗記科目的な部分があるのですが、当時の私は本当に苦手で何を勉強して良いかもわからないくらいでしたので、単に過去問を解きまくり、そのパターンだけは解けるようにしました。その結果、傾向のはっきりしているセンターでは9割解けても2次では3割もできないという感じになってしまいました。そのせいで前期試験は落ちました......

工学部にとっては肝心の物理と化学はもう単に問題のパターンを覚えるだけです。

長くなってきたので他教科は端折りますが、結局前期試験は落ちてしまい、後期で何とか滑り込みました。その時の問題は物理と数学が混ざったような電気系に特有の話で、大学でやるフーリエ変換の話をさきどりしたようなものでした。ここから教訓を得るには、複数の科目を頭のなかで結びつけて学んでおくといいことがあるかも、という感じでしょうか。


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