適当な学科選び

適当な学科選び

自分は大学受験の際、化学が好きだったため国立大学と2つの私立大学の化学系の学部・学科を受けることにしていました。これは、高校2年生のときから決めていたことでそのまま出願の時期までそのつもりでした。いざ出願となると、学部の中の類などで学科の集まりを選択する大学や、学科を選択する大学もありました。化学系ということで、類を選択する大学はすんなり決まりましたが学科は想像以上にたくさんありました。化学科、工業化学科、応用化学科、高分子工学科、化学工学科等さまざまでした。自分はあまり、それぞれの違いを理解しないままなんどなく工学部の化学がいいという理由と名前から適当に学科を選びました。また、一つの私立では応用化学科より応用物理学科の倍率も偏差値も低いことから応用物理学科を受験しました。

結局国立大学はその類を、私立は応用化学科と応用物理学科を受験しました。今は無事国立に合格し、どの学科がいいか考えて選択することができて結果的にはいきたいところにいくことができました。しかし、今思えばもし国立に合格していなかったら、私立大学の応用物理学科に進学していたためぞっとします。また、応用化学も自分がやりたいとはおもえない学科なので、危なかったです。

受験生の頃は、とにかく受かりたいという心理で少し適当に学科を選んでしまいましたが、絶対にするべきことではないと思います。学科を決める際は、その学科で具体的になにができるかを調べて学科選びをし、決まらない場合は大まかな枠組みで受験できる大学をうけるといいと思います。

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私の大学受験体験

家庭の事情でなるべく学費の低い大学に生きたかった私は、中堅の国立文系大学を目指し、無事に合格しました。予備校に通うお金も節約したかったので浪人もなるべくしたくありませんでした。なので、受験勉強を始める前からの偏差値で無理せず行ける大学を探して、確実に行けるような大学を第一志望校にしました。行くならばなるべく偏差値が高いところの方がいいなと思うこともありましたが、合格して大学生活を送る今はあまり偏差値を気にすることもありません。入学後も偏差値云々を気にするのは塾講師や家庭教師くらいなものです。

国立大学はセンター試験と大学ごとで行う個別試験の成績で合否が決まります。大学によってその比率の高さが違い、一般にレベルが上の大学になるほど個別試験の比率が高くなります。

センター試験は良く知られているとおりマーク式で、マークならではの問題がでます。教科書準拠の問題が中心ですが、時折ひねったもの出ます。私の場合、センター対策は高校三年生から始めました。授業で習った知識の復習や、出やすいポイントのチェックなどが中心で、勉強する上での目標が立てやすかった印象があります。ただ国語と英語の問題が厄介で、出題文を読むスピードや問題形式に慣れていないと点数と取るのに苦労します。

個別試験は各大学ごと、各学部学科ごとに出題傾向が異なります。そもそも受ける教科そのものが違います。論述式の問題もあれば、マーク式の問題もあり、面接や小論文が必要なところもあるので、志望する大学に向けた受験勉強が必要となります。

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志望校を早めに決めることが大切だと言われますが、こういった出題形式に応じた勉強を早めに進めるためなのです。

時代に対応した評価制度

私が通っている大学の学部は偏差値的には上位に入る。

しかし、本当に頭の良い人間が多いかといえば甚だ疑問が残る。周りの同級生を見ても頭が良いなと思える人間から、なんでこんなにも頭が悪いのだろうか?と思うような人間もいる。

その大きな要因のひとつは試験の点数の半分は小論文によるものだ。これは学部の設立趣旨に基づくものである。私の学部はこれからの変化の大きな時代に対応できる人間を育てるために、文理融合を掲げ学際的に教育を行なっている。そのような学部であるため、普通の試験では計りようがないのである。

しかし、現在の偏差値制度は既存の学問形態の枠を出ない。そのため、東京大学に入るような学力を持っている人間でも受験に不合格になったり、低ランクの大学レベルの学力であっても合格する事があるのだ。もっとも、採点の半分を占めるのが小論文とは言っても、もう半分は数学と英語なのである一定の学力は保証されている。しかし、学力と頭の良さに相関関係があっても比例しないという事は、この学部が設立されたこと自体が物語っている。さて、本当の頭の良さとは何なのだろうか?今本当に必要な頭の良さを図る評価制度を策定する事が望まれる。

東京造形大学 アニメで受かった受験体験 

わたしは21世紀最初の大学一年になった世代の人間である。

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東京に大雪が降った翌朝が試験だった。前日に田舎から飛行機に初めて乗った興奮が冷めやまぬまま、今は無き代々木のユースホステルで一泊の後、東京都と神奈川県の境にある受験会場まで移動した。馴れない電車とバスによる移送行動で、わたしの心はガチガチに緊張してしまっていた。学内に入り、新会場の席に着座し、やがて試験の時を迎えた。

わたしはセンターを利用しない試験を選んだ。また当時はセンターの基準は大学側が採用してなかったと思う。入試は選択制で英語・国語・公民から二つ、小論文・実技から一つの計を選ぶのもので、わたしはマズマズな国語と得意分野だった公民、そして小論文を選んだ。

現代社会の公民と小論文については自信があった。公民に関しては、毎日、地元紙と朝日、そして父親が会社から持ち帰ってくる日経を読んで、スクラップを作っていたからだ。そして小論文に関しては、日頃の小論文テストで字数のコントロールを学んで、いかにもそれっぽい書き方をマスターしていた。唯一の課題はテーマだけだった。

試験が始まり、国語をマズマズな形で終わらせた。選択式なのでヤマカンに頼る面が強かったが、結果は運に任せることにした。

次は公民だった。これは予想が的中だった。当時の時事問題が多く出題されたからだ。今でも当時の問題の文面が頭の中に浮かんでくる。環境問題や紛争問題が多く、名称を直ぐに埋めてしまえるくらい、わたしは解答スピードは速かった。確か時間の半分頃にはもう終えていたと思う。

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そうして、いよいよ肝心の小論文に入った。この小論文の総合点だけで、国語と公民を超えるため、小論文が勝敗の別れ目と言っても過言ではなった。答案と問題用紙が配られて、試験が始まった。わたしはテーマを見た。

勝ったと思った。

それは『都市論』について述べよと言うものだった。高校生に都市とは何かと聞かれれば、普通なら戸惑うだろう。だが、わたしは強力な味方がいた。アニメだ。アニメで虚構と現実や都市論、戦争論を語り、当時オタクたちからコアな人気があったアニメ監督に嵌っていたからだ。その名は『押井守』。特に彼の作品の『機動警察パトレイバー』という作品の大ファンで、その作品で取り上げられていたのが、まさに『都市論』だったのだ。

「拡張をし続ける都市とそれに依存する人間との関係は……」「無数に伸びる道路と車、それに煤煙を排出する工場の煙突は、さながら機能不全を起こした人間の臓器に例えることができよう……」

こんな文面を、わたしは与えられた字数の中に懸命に書きこんだ。いまでも字数が足らなかったように思う。あの時ほどアニメが役立ったと思える日は無い。オタクで良かったと心底思った瞬間だった。

わたしはその大学に受かった。少なくとも押井オタクだったわたしの熱意は受け入れられたのだ。

いまわたしは文筆業を営むフリーライターとなっている。あの時、小論文に込めた情熱をそのまま仕事にしている次第だ。そういう意味で、わたしの人生を決めたのが、この大学での試験ではなかっただろうか。


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